星をじっくり眺めていた思い出は子供の頃だけだったと思うが今でも鮮覚えている。
その時は小学校で習ったばかりの星座知識で北斗七星やカシオペア星座、そして北極星などを私は父と一緒に眺めていた。
その父もここにはもう今は居ない。
父は仕事に行っている以外家に居る時はいつも酒浸りのアルコール依存症であり、ゆっくり家族と真面目に話し合うような時間はほとんど少なかった。
まして、ロマンチックなムードに浸るような父では到底なかった。
ただ、一時でも父とそのように星を観測した思い出の中では通常の父のように思えた。それが、たった今のようにも思える。
そのように、今も昔も夜の星はそのままだということが何とも過ぎ去った時間感覚を超越してしまい、じっくり眺めていることもないのだろう。
ただ、子供の頃に観ていたことに比べてやけに空が低く近づいてきたように感じてくる。
自分も親父の年齢にかなり近づいたということだろうか。
以前から時折観ている空だがなかなかやはりじっくり時間を忘れて観ていることがない。
大人になるにしたがって自動的に任せてしまうことが常になってしまっているというわけだろうか?やはり日常の成り行きを天に任せきりになっているのが大人なのだろう。
ところで、時折ささやかな願いがすぐにも適うものなら、もしやすれば、それが大人になったスピードで星を眺めてみるのもよいかもしれない。
それも、なかなか理に適った良いことのように思えてくる。
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